(1)〜プロローグ〜
うす曇がどんよりと空を覆っている。 こんな日は、本当にだるい。
僕も偏頭痛じゃないか、なんて思わせるぐらいのすっきりしない空模様。
大阪行きの普通列車がまもなく出発する筈である。そして―。
甲高い男性のアナウンスが、駅構内に流れている。
「ご乗車の方は、お急ぎください」
今は駅名は伏せておく。
カン、カン、カン、カン、カン┈。
―開かずの踏切じゃあるまいし、いつまで待たせるんだ!―
そのように腹を立てて、苛々している人間が僕の周りにいる、きっといる。
暫くして、普通列車がゆっくりとプラットフォームを離れていく。
「この昼間は、待たされる、待たされる。ったく!」
急ぐ買い物でもあるまいし、50代半ばの女性が八つ当たり気味に、隣の女性に不満をぶちまけた。が、そんなに苛々した様子でもない。
最後尾の車両が、目の前の遮断機を通り過ぎ、右方向に去っていく。
「おたんこナス!」
ドサクサ紛れに、友達をからかいあう小学生の男子3人が、身体いっぱいに声を張り上げている。
40代半ばの男性2人が、前に詰め寄る。
―また、来るな―
後方で黙って見ていた。―ただじっと見ていた。
「.....」
うち一人が、少し後退りした。
沿線沿いの国道を走る車のクラクションで、二人の会話が掻き消された。
大阪方面から三田に向かう下り特急列車が、右方向から接近してきた。遮断機は閉まったままだ。
カン、カン、カン、カン、カン┈。
轟音と共に、眼の前を列車が通り過ぎようとした…その瞬間―。

一人の男性が、目の前から消えた。
一瞬のうちに消えた。平凡な日曜日が平凡でなくなる。
5月7日、先勝。
駅前のベーカリーで食パンを買う、いつもの午後3時過ぎ。
パトカーと救急車のサイレンが、重なるように僕の傍にやってくる。
明日は? 明日は―。いつものように出勤だ。
こんなことがあっても。
そう、事件があっても。
(2)〜出張〜
翌日、売店で朝刊を買ったが、昨日のことは新聞に出ていなかった。 僕は大事件と思うんだけど、もうこれしきでは、新聞も取り上げなくなったのか。少し残念だ。
いつものように、8時20分に出勤。
営業の社員全員が出払った午前10時過ぎ、岩手県の大手家電メーカーから一本の電話が入った。運悪く社長の牛山草衛門が受話器を上げた。
「はい。微利恩商事(びりおんしょうじ)です」
さすが元電気機器商社のベストセールスマンだけあって、元気がよく歯切れがいい。
10年前に独立し、この微利恩を設立。今では50数名の社員を抱える、中堅商社にまで成長している。
「はい、はい、はい…いやー、すみません」
雲行きが怪しくなってきた。社長が頻繁に、頭を下げている。
「い、今からですか? 今から―」
人っ子一人いない営業部のデスクを、上目遣いで見回した。
「部品の確認をさせて頂いて、それから―」と言いかけて、僕と眼が合ってしまった。
社長が受話器を右手から左手に持ち替えて、右手で僕に失敬の合図を送った。
―は?―
「わかりました。何とか手配して、そちらに持参します」
―持参する?―
ガチャンと電話を切り、右手に力を入れながら、相手の担当者名と商品名をメモ書きした。
それから大きく右手を上げ、総務部の方に顔を向け、「水芭蕉主任!設計にこの部品あるか聞いてくれないか」と、急遽指示を与えた。
こちらには火の粉は掛かってこないな、と思った矢先、半ば有無を言わさない口調で、社長が僕に命令した。
「蒲公英(たんぽぽ)くん、悪いけど岩手に飛んでくれ」
「え?」
「これも仕事のうちだ。今晩には大阪に帰れるから心配するな」
僕が中途採用で微利恩商事に入社したのは、ひと月前の4月1日。
貿易部を作って欲しいと最終面接で頼まれ、「頑張ります!」といい加減な返事をし、難なく採用された。
元はと言えば、大学卒業後の即就職が嫌で、ふらっとニュージーランドのクライストチャーチに行ったのが始まりだ。コミュニティーカレッジで英語を勉強したけど、ぺちゃくちゃ喋る英会話だけの英語に物足らず、数ヶ月であえなく帰国。バイトを転々としていた時、新聞の求人欄で見つけた、《英語が出来る社員募集中》に釣られて応募。そして今に至ったわけだ。
そんな僕が貿易部を作るなんて、所詮無理だと思っているうちに、1ヶ月が過ぎていた。
僕のデスクは、総務部と営業部の間の通路のようなところに、離れ島のようにある。
「社長、花巻ですか?」
「そうだ。I電気の生産技術部に部品を届けてくれ」
僕は、一日旅行のつもりで、「分かりました。社長、行ってきます」と元気よく返事した。
総務部の女子社員が、ただ飯を食う蒲公英という眼をしている。
―どこが悪いんだ!―
心の中で僕は、そう口答えをした。
(3)〜運命〜
部品の在庫があるのかないのかも分からぬまま、僕に花巻へ飛んでくれとは、如何にも無茶な社長だ。 椅子に座っている時、何度も右の腰を浮かせ、平気で放屁を垂れる社長である。“典型的な中小企業社長”とは彼のことではないかと、常日頃から思っていた。

幸か不幸か類似品が設計部にあり、僕はその部品と工具一式を持って、空港に向かった。何に使う部品かって? 簡単に言うと、ステレオやテレビの中に入っている電子基板に半田付けをする装置の部品で、うちの微利恩商事は、曲がりなりにも自動半田付け装置を製造しているのだ。
勿論、最初からこんな中小企業にハイテク装置が作れたわけではない。当初はドイツの半田付け装置を輸入し、ライセンス契約をして販売していた。それから数年して、そう、お決まりのコースだが、自分達で見よう見まねで独自の半田付け装置を製造してしまった。台湾や中国はすぐ日本の真似をする―なんて文句を言うビジネスマンがいるが、日本人だって結構同じようなことをしているのだ。
工具一式を持っていくのも、社長の命令である。当たり前だろう―なんて声も聞こえてきそうだが、とんでもない。僕は大学で経済を勉強したが、工具なんてまともに扱ったことはなかった。
会社を出る前の社長の言葉ったらなかった。
「うまく装置に嵌らないようだったら、適当に削ったり穴を開けたりして、それなりに見栄えよくしておいてくれ。すぐに客のところに駆けつけるのが、誠意と言うもんだ」
うまく修理できなかったら、誠意も無いだろうと、僕は半ば呆れかえっていた。
大阪空港から花巻行きの飛行機に搭乗したのは、13時過ぎ。まもなく出発の筈だ。
後方の窓側に座った僕は、整備の男性が機体のチェックをしているのを眺めていた。すると突然、馴れ馴れしい口調でCA(キャビンアテンダント)が僕に話しかけてきた。
「あれ!蒲公英くんじゃない?」
「―え?」
彼女は満面の笑みを浮べている。
「もう!私よ。鈴蘭陽子(すずらんようこ)よ」
「あ―。陽子?!」
化粧が上手いのか、美人になったのか、一瞬のことで判断は付かなかったが、見違えっていたのは事実だった。
鈴蘭陽子。24歳。大学時代のゼミ仲間である。全て優の成績で経済学科を卒業した切れ者である。
「ねえ、仕事?」
「ああ」
「元気そうね」
「君も」
陽子の輝いた眼を見て、僕は少し嬉しかった。
「あまりサービスできないけど―」と言ってから、小声になって、「後で、美味しいウィスキーとスナックを持ってきてあげる」と僕の耳元で囁いてくれた。
「すみません」
背後に男性が立っていた。
「お客様、申し訳御座いません。こちらのお座席ですか?」
「50の…あ、ここだ」
陽子が僕に軽くウィンクをして、仕事に戻った。
「暑いね、この飛行機」
隣に座った男性が、僕に話しかけてきた。そして、僕は驚いた。
―まさか!昨日、踏み切りの遮断機のところにいた男性?!―
僕は言葉を失った。
(4)〜消された言葉〜
搭乗機がタキシング(地上走行)を始め、滑走路に向かっている。 僕にとってタキシーウェイは特別だ。それは離陸前のちょっとした緊張感。
左右前方の座席に眼を遣る。友人や仕事仲間に見えた2列席の乗客たちが、暫らく会話を中断し、窓外をじっと見つめている。
右隣の男性は、肩から首を突き出すように、何かを捜している。眉間に皺を寄せながら、窮屈なシートベルトを見ている。…落ち着きが無い。昨日もそうだったけど、今の彼はもっと不思議な存在だ。
機はウーンといううなり音を立てて、滑走路の前方で止まった。
チーフパーサーが親指を立て、全てOKの合図を送った。
キーンという尻上がりのエンジン音。そして70%のパワーオン。―そしてパワー全開でV1速度(臨界速度265キロ)に達した。
機体がフワッと浮き上がり、うす曇の大空に舞い上がった。
安定飛行になり、右隣の男性がCAを捕まえた。
「今日のキャプテンは誰?」
「え?」
痩せ気味のCAが、きょとんとした表情で立ち止まった。
「機長だよ、機長」
「あっ。機長で御座いますか。本日は芹薺吾郎(せりなずなごろう)が機長を務めております」
「芹薺か―。わかった。ありがとう」
不思議な男だ。
僕は勇気を振り絞って尋ねた。
「あの―」
男性は僕にかぶりを振った。睨みつけるような眼である。
「昨日、踏み切りのところにいた方ですよね?」
「ん?」
少し考え込んでから、思い出したかのように、男性は踏み切り近くの駅名を言った。
「あ、あれか―」
シートベルトを取り外し、狭いエコノミーシートで無理やり足を組んだ。
「驚いたよ、本当」
「あの男性に、何か声を掛けられませんでした…特急列車が入る直前に」
男性は少し考える素振りをして、右手で額を掻いた。
「君は、、、何なんだ、、、突然」
「ちょっと気になったもので」
「.....」
僕は彼の眼の奥を探った。
「遮断機が中々開かないね、って言ったと思うよ」
機が少し上下に揺れた。すぐさま彼は、両手でアームレストをしっかりと握った。
眼をキョロキョロさせている。
「すみません、変な質問をしちゃって」
「.....」
「花巻まで出張ですか?」
「―あ、あー」
先ほどとは打って変わったように、気の無い返事をした。
「ちょっと、すまないが、、、」と言って、突然、席を立ち、前方のCAのいる方向に歩いていった。
彼の足取りは、まるで吊橋を渡るような、ぎこちなさであった。
―“遮断機が中々開かないね”、か―
僕にはあの時の彼の言葉が、5文字の言葉のように、彼の唇から見て取れた。
五文字の言葉…。
(5)〜謎の死〜
しばらくして、男性が席に戻ってきた。 この男、CAと喋るのが好きな、普通の中年オヤジなのか。見つけては喋り、見つけては喋り。只、落ち着きがない。
前後にかぶりを振り、最後は僕の方をちらっと見た。話しかけるわけでもない。
マイクのキーンという音がして、機長のアナウンスが飛び込んできた。
「本日、機長を務めます芹薺吾郎(せりなずなごろう)です。只今、房総半島上空を順調に飛行中です。花巻の天候は小雨、摂氏18度との報告が入っております。機内では┈」
男性は急に顔を緩め、腕組みをしてながら機長のアナウンスを聞いていた。
身体が微動だにしない。5秒、10秒、30秒┄そして1分が経過した。
―喋り疲れて寝てしまったのか。変わった奴だ―
僕は少し鼻で笑った。
いつの間にか僕も転寝をしてしまい、目が覚めたときは既に着陸態勢に入っていた。
リクライニングシートを定位置に戻そうと、アームレスト前方に取り付けられているノブをひっぱった。ガクンと前のめりになり、と同時に彼の身体が、スーと僕の方に倒れてきた。
重い。そして、仄かな甘い匂い。
口から泡を吹いている。
僕はアームレスト下の乗務員呼び出しボタンを押した。着陸前ということもあり、CAが足早に座席にやってきた。
「お客様、どうかなさいましたか?」
「か、彼が、、、口から泡を、、、」
CAは眼を見開き、右手で口元を押さえた。
「すぐにパーサーを呼んでまいります。しばらく―」
エンジンを噴かす音で、全ての事情がかき消されているようだった。
顔面蒼白。彼のしろめが緊急事態を象徴している。
チーフパーさが駆けつけ、脈をとった。
心拍が既にないようだ。
「お客様、まもなく着陸いたしますので、このままで―」
パーサーは僕の左肩に腕をあてた。
通路を隔てた右側の席がたまたま空いていたので、男性の右隣の座席に座り、シートベルトをしっかりと締めた。
「お客様、途中、変わったことはありませんでしたか?」
僕に尋ねた。
「いや、房総半島上空あたりで眠くなって、寝てたんです。気が付くと着陸前で、この通りです」
着陸と同時にタンカーが運び込まれ、男性が担ぎ出された。
僕は、到着ゲートで、2、3、機内の様子を聞かれたが、10分程で解放された。
「嫌だったでしょ?」
CAの鈴蘭陽子が別れ際に訊いた。
僕は昨日の事故のことは、陽子には喋らなかった。
「大丈夫だよ。彼、何か病気もちだったのかな⋯」
陽子がメルアドを僕に渡した。
「時々、花巻に飛んでるから、連絡ちょうだい」
「ああ」
「あっ。―蒲公英くん、隣にいたのに、全然気づかなかったの?」
僕は首を軽く左右に振った。
(つづく)
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テーマ:ミステリ - ジャンル:小説・文学
- 2006/05/25(木) 07:48:44|
- 「G−Man」(連載)
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